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豊北町を紹介します

土井ヶ浜弥生人の顔・かたちの特徴、旧石器時代から現代に至る日本人の形質の変化や日本人のルーツについての情報を展示・発信している、わが国で唯一の人類学専門の博物館です。

定休日:月曜日(祝日の場合は開館し、翌日休館年末年始 ℡083-788-1841

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​ 角島大橋

角島大橋は、全長1,780m、2000年11月に完成した角島と本土とを結ぶ生活道路。響灘の青い海に伸びる、優美な絶景ドライブコースとして有名。途中には鳩島があり、カンラン石玄武岩の、六角形の断面を持つ直立する柱のような、柱状節理が見られる。
橋の両端、本土側には海士ヶ瀬公園、島側には陽の公園が整備されている。

 

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太翔館は、現在は下関市立豊北歴史民俗資料館として活用されている、旧滝部小学校校舎。1979(昭和54)年山口県指定有形文化財(建築)。
 

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附野御薬師寺

​(東山寺

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 東山寺は「附野薬師」とみんなによばれている。というのは薬師如来が安置されているからである。所伝として、弘法大師一刀三礼の御作仏で、延暦23年(804)御入唐の砌船中に御彫刻された尊像。大同元年御帰朝の折当地の沖、海土ケ瀬御通船の時暴風俄に起り、御船も既に危いところ、当地の砂浜に無事着船された。(依って郷名を附野という)当地は尊像有縁の地として一宇を建立されたが、回春山、東福寺(当寺)当薬師の開基なり。慈恵一切衆生に遍く諸病悉く除き就中眼疾の者祈願立所に霊経現れ平癒した。

​牧崎風の公園

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牧崎風の公園は、角島灯台と反対側の岬にある公園。角島出身の文芸家中本たか子の歌「ふるさとを/遠く離れて/想ふかな/夢崎の波/牧崎の風」により名づけられた。
ここではカンラン石玄武岩の、六角形の断面を持つ直立する柱のような、柱状節理を見ることができる。柱状節理は角島のあちこちにあり、新第三期中新世後期(およそ850万年前頃)、火山活動によって噴出した溶岩が固まったもので、「山陰火山岩」と呼ばれる。角島大橋途中の鳩島や、神田附野の観涛園俵石も同じ。また、夏にはハマユウ、秋から冬にかけてはダルマギクの花が見られる。黄色い芯と薄い紫色の花弁の、小さな花がかわいらしい。
公園の周辺では、牛が放牧されており、草を食むのどかな姿を見ることもできる。平安時代前期に定められた法令『延喜式』に長門国(今の山口県)の角嶋牛牧が載っていて、古く官営牧場があった

​​鬼の岩

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鬼の岩は、角島の中心部、学校の前にある輝石安山岩(尾山火山岩)の岩塊。
 

後ろの馬路山に住む龍が、嵐の日にこの岩の間を通って、沖にある壁島の竜権現社にお参りすると、縄が切れるという伝説がある。
江戸時代の終わりごろから、毎年正月11日(後には正月2日)に二見浦の男衆によって、豊漁を祈り男岩と女岩の間に注連縄がかけられるようになった。古くは藁縄で作っていたが、令和の現在、強度の優れたロープ素材を使っており、毎年正月のかけかえは無くなった。 

​ 壁島ウ来地

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壁島は下関市豊北町和久の北北西約 700mの海上にある岩礁、花こう岩でできています。毎年11月下旬より翌年の3月下旬にかけて、数千羽のウミウが渡来し、群をなして生息します。日中は響灘、日本海西部、関門海峡付近まで飛んでいき、海に潜って魚類などの餌を採ろ、夕方になると島に帰り、断崖を休憩場所やネグラとして利用します。 島にはウの糞(グアノ)が堆積しており、遠くから見ると白壁のように見える。最も高い岩礁の色は特に白くなっている。グアノは燐酸(りんさん)肥料として使われている。 ウミウは、う飼いの「ウ」として使われる鳥。くちばしは長く細い円筒形で、首が長い。夏に北方で繁殖し、冬に本州に渡来し越冬する。

​​角島灯台

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​夫婦岩

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​小野橋(沈下橋)粟野

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粟野川にかかる沈下橋(潜水橋)。洪水の時は水中に没して流失を防ぐように作られているため、手すりのない川面に近い低い橋である。
橋長62m、幅員2.5m。沈下橋としたのは1953(昭和28)年頃だが、その後何度か変更されて現在の形になった。 

​日和山松陰亭

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阿川浦日和山にある吉田松陰ゆかりの史蹟。
1849(嘉永2)年7月12日、萩藩の海岸防衛体制視察団の一員として、20歳の吉田松陰が阿川湾の視察に訪れた。この時の様子を記した日記が、「廻浦紀略」として残る。
阿川湾を望む日和山の上に、四阿風の「松陰亭」「松陰先生登臨の碑」がある。阿川出身で、蒙古王と呼ばれた異才の政治家・佐々木照山が尽力し、松陰没後70年の1929(昭和4)年建立。松陰亭の格子天井を飾る額の数々は、佐々木安五郎はじめ、当時の名士によるもの。石碑は頭山満の揮毫。
現在も浦の人々によって、周辺が整備・手入れされている。 

​ 豊北峡

白滝山

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標高668m、田耕地区と粟野地区の境をなす山。山頂近くの美しい白滝と、その手前のゴルジュ帯で、登山家に知られる。山頂からは、北長門の海を望むことができる。
平成時代には20基の風車が建ち、林道が廻っているので、白滝の近くまで車で行けるようになった(駐車場はない)。
山麓の本宮中山神社、四恩寺跡は、幕末の公家・中山忠光ゆかり。

​本宮中山神社

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幕末の公家・中山忠光を祭る神社。中山忠光は尊王攘夷派の志士として活動し、この地で暗殺された、明治天皇の母方の叔父である。享年20歳。
1863(文久3)年、公家の身分を捨てて5月下関攘夷戦争に参戦し、8月大和国五條(奈良県五條市)で天誅組の変を起こした中山忠光は、幕府の追手から逃れてこの地に隠れ住んだ。しかし翌1864(元治元)年、第一次長州征伐で苦境に立った長州藩は匿いきれず、中山忠光は殺されてしまう。当初は病死とされたが、後に殺されたとわかり、暗殺の地に1955(昭和30)年に本宮中山神社が建立された。
墓所は下関市綾羅木にある中山神社境内。

遇斯光庵

(ぐしこうあん)

粟野川の支流・蓋ノ井川にある峡谷。夏にはキャンパーが訪れ、春秋は花や紅葉の風景が美しい。男滝・女滝の小さな滝がある。
蓋ノ井の名は、その昔この地に隠れ住んだ落武者が、物具(鎧兜)を井戸に隠して蓋をしたことからついたと言う。 

豊北町滝部向坊にある。 

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